昨今の情報過多の時代では、
受信者による情報の取捨選択が
必要になってくる。
とはメディアリテラシーという考えのひとつでもありますが、
僕らは、無意識下で、
実は、すんごく取捨選択しちゃってるんだと思います。
最近、人の恋話を聞くことがあったのだけど、
総じて言えること。
彼氏彼女がいる場合は、相方に対する不満。
そしてそれによって、
自分がどれだけ甚大な被害を受けているかを熱弁する。
彼氏彼女がいない場合は、つまり片思いなのだけど。
状況説明では、あまり言葉がでてこないくせに、
相手のことになると、水を得た魚のやうに、それはもう。
どれだけステキな人なのか、ヒートアップしたトークを展開する。
おまえはそいつの広報部長か。
ということで、思うのだけど。
前者の場合、相方のことを散々酷評すれど、やっぱり好きなのだと思う。
好きだからこそ、その人の魅力を知ってるからこそ、
二人の歴史?まあ共有した時間、つくってきたモノがあるからこそ、
だからこそ、相手に期待してしまうのだと思う。
私の好きなこの人は、こうあるべき。みたいな。
だから、そっからちょっとでもはずれることが、
すんごく嫌になっちゃうんだと思う。
それは、好きなら好きなほど、許せないことなんだと思う。
自然、大好きなトコロは当たり前になって、
許せないところばかりが誇張される。
それが証拠に、後者の能天気野郎は、
まあ、まだ相手を知らないってのもあるけど、
「彼のすべてが好き。彼こそ私の理想。」みたいな
よくわかんない境地に達しているのであって、
つまりは、こっちも、すべて見えてないのね。
「恋は盲目」とは、よく言ったものです。
たまたま、あるいみ意図的にNHKで見た。
アフガンで20年間支援活動を続ける
ペシャワール会現地代表の医師、中村哲さんの特集。
以下、そのなかからの抜粋。
アフガン人の多くはビンラディンの名前すら知らない。
内戦の残した爪あと、飢餓や病気や貧困と常に戦ってきた。
そんな瀕死の小国に、世界の超大国がよってたかって、
何を守ろうというのか。
国際貢献とは何か。
アフガン人にはアフガン人の行き方がある。
外国人が、古い建物や慣習、文化を壊して、新しいそれを建設する。
空爆と同じ理論である。
NPOはどうか。
高らかな宣伝の割りに活動内容は薄いように思える。
数多くのNPOの事務所が入ってきたことにより、
皮肉にも地価の高騰と物価の高騰がおこった。
貧しい人は、よりいっそう貧しくなった。
そして数年を経ずして、
彼らは自分達の任務を終え、帰国していくだろう。
うちの父親は寝言を言う。
しかも、かなりでかい声で言う。
僕の部屋に聞こえるくらいでかい声で言う。
昨日捕らえた最新寝言。
「ん?。。。砂利道研究会。。。」
なんだそれ。
なんなんだそれ。
すっごーく気になる。それ。
ということで、なかなか寝つけなかったです。
で、実は寝つけないのは、別に寝言のせいではなく。
「お互い変わったかもね。」
と友達と話してて、はて僕はどこが変わったろうと考えたけど、
この一年、なぜか無駄に内省的になってしまったかな。悪い意味で。
もうそういうの卒業してもいい年なのに。
ということで、寝る前に誰かと電話する習慣がついてしまった。
てかむしろ、添い寝してくれる子、急募です。
いや、だって一人で寝るってかなり難しいことだよ。
おかげで今月のケータイ料金はすごいことになりそうですが、
ただの世間話が僕に安眠を運ぶのです。
なので、恒常的に深夜に電話かかってる皆さん、お疲れ様です。
そしてごめんなさい。
まあ直接的に相談するような僕ではないですが、
僕なりの弱音の吐き方ということで、お許しを。
あ。
添い寝の件ですが。
田中美保(nonnoのモデルさん)系で、お願い。
いや、むしろこの子が隣にいたら寝れないわな。
まじでトップオブ最近かわいい女の子です。
そういえばこないだ友達からの頼まれごとで、
人と話す機会があったのだけど、
そのときのお題が『旅』だったのね。
そしてもうひとつ、これも頼まれごとで、
南アのときの写真をHPにアップしようと、
最近、悪戦苦闘してるわけです。
で、そんな多くの国に行った訳でもないので、
そんな僕が旅について語るのはいかがなものかと
思うのだけど、
なんだろね。その写真とかって、
その風景を切り取ってきたものなわけでしょ。
でも、その空気とか匂いとか音とかって、
実は写真からは伝わらないもので、
切り取ってきた僕にだけ見えるのもだったりして、それはそれで密かに嬉しい。
で、なんだろな。その景色のなかに自分は確かに存在してたわけで、
そういうのを考えると、自分の足跡を残すというか、
もちろんそんな大それたものではないんだけど、
自分が、そのとき、その場所に、いたのは確かなわけで、
その時間てのはもう、そのときだけのものなわけで。
うー。むずかしい。
あ。あねごが言ってました。
「大空の下で野グソするのは大好き。」
もちろん旅先はトイレなんてないわけだから、
一応女の子なあねごはさぞかし面倒臭いだろうと思いきや。
あねご曰く、自分のDNAの切れっ端を、
世界中においてくる。それってすごくステキでしょ。と。
自分の片割れを、存在してた証を、
世界中にウンチを介して、撒き散らす。
それを養分に植物とか育っちゃったらそれは確かにステキです。
言いたかったのはそういうことかもな。
で。南ア写真は近日公開予定なのでしばし待たれよ。
>のめ子さま。
オレンジデイズというドラマを知ってますか。
僕がこのクールで二番目に多く見てるドラマです。
といっても6回くらいしか見てないけど。
(ちなみに『冬のソナタ』は毎回かかさず見ています。)
今日は最終回でした。
むー。
耳の聞こえないヒロインを柴崎コウが演じているのですが、
単なる青春群像モノだけでは、視聴率とれない時代なのでしょうか。
それはいいとして、ドラマの世界は華やかです。
出てくる女の子はかわいい子ばかり。
柴崎コウの目ヂカラしかり、
小西真奈美の口元しかり。
どっちだろー。うーむ。
本当にどっちにしようか迷うくらいまじでかわいい。
出てくる男の子もかっこいいです。
そしてみんなまっすぐだし、キレイです。
脚本は別として世界観はステキです。
で、なんか、最近、いろんな人の話を聞いてて思うのは、
すっごく当たり前のことなんだけど、
「うむ。この人のなかでは、この人自身が主役なんだな。」ってこと。
いい意味で。だと思います。
で、自分が主役の『人生ゲーム』でみんながんばってるんだけど、
現実は、そんなに甘くもないし格好いいことばかりじゃない。
ドラマのような恋愛とか、ドラマのような青春なんて、嘘っぱちです。
出演者はドラマみたいにカッコよかったりかわいかったりするわけじゃないし、
普通に道歩いてて、肩と肩がぶつかって運命的な出会いをすることもないし、
ここぞって時に雪が舞い散るわけでもないし、
ハッピーエンドが約束されてるわけじゃないし、
悲劇のヒロインになれるわけでもないし。
だから、ドラマとか映画とか、
あと、友達の話とか、んー勝ち組っぽい人とかの話?
そんなんで切り取られたワンシーンだけを
『幸せ』って呼んじゃったりする。
これってどうなんだろう。
もっかいよく考えましょう。
むしろ、現実はドラマよりもおもしろいでしょ。
今まで自分が歩いてきた道には、
よんどころなく悲しいこともあったろうし、すっごい幸せな瞬間もあったろうし。
友達とすごした時間は、自分とそいつらだけの共通の財産だろうし。
この楽しさはドラマの比じゃない。
でしょ。だから、もっかい我に返って、考え直したほうがいい。
だって自分で脚本も書けちゃうんだから。
ってこんなこと僕が言うから「ぶふふぅ」とふきだしてるひとも
いるかもしれないけど、結構まじめにそう思ってます。
そして、僕はなるべくたくさんの人にとって、
名脇役が演じられたらなあと本気で思うわけです。
あ。写真は茶柱です。立ってるでしょ。すごいでしょ。

『恋愛は最高に楽しいゲームだよ。』
て僕がまじめに語ってるのを知ってる人もいるでしょうが、
別にこれは[恋愛=ゲーム]て意味ではなくてね。
恋が叶った時ほど、メチャクチャ嬉しいことってないし、
叶わぬ恋をした時ほど、べっこり凹むことはないでしょ。
てことを考えた時に、恋愛ってすっげー楽しいことだなあと。
そう思うわけですよ。
で、今日ね、久々に話した友達がいてね、
その子は、めちゃくちゃ浮き沈みがはげしい子でね、
上がってる時は、些細なことでもすっごく幸せそうなんだけど、
落ちてる時は、ほんとどうしようもないくらい鬱なのね。
それは実は僕にもあてはまることで、
いつも馬鹿みたくテンション高いわけでなく、
落ちてる時は、『もう放っといて(でも気にはして)』ってオーラ出てるでしょ。
で、世の中に存在してる人々を、すっごくテキトーにまっぷたつに分けるとして、
1.浮き沈みのはげしい人種。
2.常に安定を保ってる人種。
ってふたつに分けるとして、どっちがいいかって考えたのね。
すると、実は、1の人種の方が、
100倍面倒くさい分、100倍楽しい人生なのではないかなと。
だって、『ハイもローも、テンションは極限まで。』
ってのがやっぱり格好いいでしょ。
嬉しいことも、楽しい時も、辛いことも、泣きたい時も、
ぜんぶ、体ぜんぶ使って味わったもん勝ちでしょ。っていう話でした。
写真はえなっぺ最新版です。
今日初めて手をつないでくれました。

授業に出た。
みんなこんなことを4年間も続けるのかと。
焦燥感とでもいうのかな。
画一化。これはある種すごいことだなと考えた。
がんばれ日本の大学生。特に5年目の僕。
ということで、まったく関係ないですが、
今日は帰りがけにみんなで海に行きました。
といっても、日付が変わってからなので夜の海です。
安アパートの畳の部屋にぶら下がってそうな裸電球。
その白い電球みたいな月。
その月がつくる陰影で雲の存在を知る。
雲がつくる陰影で月の明るさを知る。
目を落とせば夜の海。
波うち際は光りと闇の織り成す世界。
海岸線の街頭なんか、比にもならん。
月明かりを映しながら、行ったりきたり。
自然と対峙できる場所は、実はこんなに近くにある。
中国へのフェリーの上で見た見渡す限りの海原でもなく、
南部アフリカの原野で見上げる星空でもなく、
湾岸を防波堤で仕切られた人口の明かりを背負う海。
自分達の小っささとか無力さが
夜空と海と月と宇宙に照らされて、
ちょっと恥ずかしく、ちょっと嬉しくて、
恍惚とする。幸福感。
チベットかな。二年位前。陸路でネパールに抜けた旅。
そんときね、なんか、あんま頭もココロも働かなくて。
ただただ、西へ西へと移動してた。
もはや旅じゃなく。
で、そんとき、ブッタが言ってくれたのよ。
わかんない時は、それでいいって。
ただただ、流されてく。
それでも、流れてく景色はこの目が見てるって。
そいで、日本に帰って、
後から、ふとした時に、本当にふいに思い出したりして、
そこで一気に旅に引き戻されて。
旅中にわからなかったこと、あとで気がつくこともあるって。
あれからもうすぐ二年。
ブッタの言ってくれたことは、本当だった。
最近、友達の一人がこんなこと言ってました。
これからどうなるのかもわからないし、
どうしたらいいのかもわからない。
自分がどうしたいのかもわからない。
自分の人生なのに、こんなにも先が見えないなんてやだ。
旅と人生は同じじゃない。
一番でっかいのは、有限と無限の違いかな。
人生は死ぬまで無限に続くもんね。
だから、不安は旅の比じゃない。
流されることは悪いことじゃない。
どんな状況でどこにいようと、
その目はなんかを捉えてるんだと思う。
前向きでも後ろ向きでも、
立ち向かっても、尻尾巻いて逃げるんでも、
そんなの実はどうでもよくて。
目を開けてることが重要なんだと思う。
つくづく人間は面倒臭い生き物だと思う。
本能の他に、感情があって、それを抑える理性があって。
それをコントロールするのは自分であって、社会であって。
最近、この春就職した友達から連絡を受けること多し。
日本では、がんばることが求められてて。
忍耐と根性が美徳とされて。
仮にうまく自分で道を見つけても、ゴールは設定できないでいる。
評価は社会がつけるもの。
直接的、間接的に周りのノイズが入りまくる。
僕は社会に出たこともないし、
「ふむふむ、ほへー」てな感じに聞いてることしかできないんだけど。
「たぶん、人生で今一番辛い瞬間にあるんだろうな」って
僕の乏しい想像力では、それくらいしか相手の立場に近づけなくて、
本当は、本人達は、もっともっと辛い思いをしてるんだろなと。
僕が日本の首相だったら、いや、アメリカの大統領だったら、
少しは暮らしやすい世の中を作ってあげることもできるけど、
幸か不幸か、そんな立場にないもので、何もしてあげられないのです。
どこまでががんばればいいのか。
どこまで自分を痛めつけるのか。
冒険と無謀が違うように、努力と無理も違うもの。
人間は自分達が思ってるほど強くないものです。
横須賀っていいとこだ。
最近、とうとう体に悪影響が出はじめたので、
タバコを吸う回数を減らしている。自主規制。
回数を減らす代わりに「一服を大切にしよう運動」を実施。
タバコを吸うときは、家の外に出ることにした。
夜中に外に出る。
トモダチと遊んで夜中になることはあっても、
家かお店の中にいるわけで、帰りも車かバイクなわけで。
夜中に屋外にいることを楽しむ時間は珍しい。
横須賀は良い街だ。
ずっと生まれ育ったとこだから、あまり思ったことはないけど。
都会でもなく、田舎でもない。
海があって、山もある。
閉鎖的だし、開放的。
どこにいてもそうだけど、
夜の、朝の、凛とした空気は、
その街のよさを、ちゃんと引き出してくれる。