社会人のはしくれになって気づいたことシリーズ。
物事を大きく見る視野は必要。
大きく捉えた中で、自分が今、どこにいるのか。何をしてるのか。
どこへ行くのか。なにをすべきか。
空間軸でも、時間軸でも。
それを失うと、目の前のことで精一杯になってしまう。
そしてそれに意味を見出せなくなってしまう。
果ては、自分を失ってしまうのだと思う。
物事を細部まで見る視野も必要。
小さく捉えた中で、
一喜一憂。人であっても、物事であっても。
自分の目の前にあることで精一杯になれる。
それを失うと、希薄な毎日になってしまう。
送る日々の意味を失くしてしまう。
果ては価値をなくしてしまうのだと思う。
社会人の皆様。
なんか夜更かししたくならないですか。
明日仕事あるのに、朝早く起きなきゃいけないってわかってるのに、
夜更かししちゃうの。ないですか。
そして次の日休みの週末に限って早く寝ちゃったり。
そういうの。ないですか。
なんか最近自分の平均就寝時間考えてそう思った。
平日の夜は1時か2時。金夜土夜はなぜか12時。そしてなぜだか日曜は4時前後。
仕事の内容は別として、僕は働くってことにとにかく抵抗感があるらしい。
20数年間お金も時間も消費することだけで生きてきたから、
そうそう生産活動に慣れるわけがない。
会社行って帰って寝て。起きたらまた会社行って。。。
っていう生活には耐えられそうもないので、
どうも、何をするでもなく夜更かしして、反抗してるらしい。
人として、12時間働いたら、12時間遊ばなきゃ気がすまないけど、
けど、どうあがいたところで一日は24時間しかないものだから、
睡眠時間を減らしてでも自分の時間を確保しようとしているのだと思う。
うーむ。ほんとに反抗期の子供みたい。
けど、悪くない。嫌いじゃない。
いつまでできるかわからないけど、
避けられない人の一生の流れになんとかあがいて反抗し続けてみる。
イマサラながらに河口慧海を読む。
戦前日本にこんな奇特な方がいたものだと、
ただただ感嘆するばかりである。
真言宗のお坊さんで、中国経由で伝えられた仏教に飽き足らず、
真の経典を求めてチベットへ旅立つ。
日本を出て、インド、ネパールを経てチベットへ。
カトマンズからラサまでは距離にして1000km。
現在のルートでも途中5000mの峠を越える。
あの荒涼とした大地を、じっとしているだけで頭が脈打つ程の高高度下を、
鎖国中のチベット。
外国人に道は閉ざされていたため、
河口慧海は、道なき道を歩いて進む。
100年前。
やっぱり名声のために冒険家は生まれないのだな。
そして現代。
日本から2週間かけ。へとへとになり僕がたどり着いたラサは。
ポタラ宮の前にはアスファルトの道路。
その歩道からポタラ宮をファインダーで捉えると、
居なくなって久しい主の代わりに中国語の横断幕が。
本のなかのチベットとは違い、
痛々しい程に、変わり果てた姿ではあるけれども。
そこは慧海の目指した天竺なのだ。
そんなこんなで連休最後の日の夜に。
というか連休明けの日の朝に。
みんなにメールを書いてみた。
一言、住所を教えてくれと。
僕は年賀状を書きたくなったのだ。
年も明けて10日も経つと言うのにね。
普段会えない。というか会わない。
でも大切な人たちへ。
いっこいっこ大切に。
大切な人たちと会う機会をつくったり、
用もないのに突然ひさしぶりの電話をしてみたり、
遠くの誰かに手紙を書いてみたりもしたい。
訪れてみたい土地も山ほどあるし、
つくりあげたい作品もある。
そういうことができないでいるのだけれど、
だからといって、決して仕事にかまけているわけではない。
なのに仕事上がりの僕ときたら、休日の僕ときたら、
何をしているのだろう。やりたいことのひとつもできないでいる。
これはもう怠慢というより他ない。
神様はもちろん人間に機会平等を与えてくれた面もあり、
やっぱりがんばった人だけが得られるように世界はできてる。
仕事でも遊びでも。
だから僕はちょっとずつでも努力してみようと思うのだ。
連休最期の今宵。
手始めに夜更かししてみよう。明日の仕事も恐れずに。
たまっていたしたいこと、してみよう。
冬が来た。もうすぐ25になる。
ひどい話だ。
大人になったらなんでもできると信じてた。
大人になった今、なんでもできるようになった。
でも、世界からは彩りが消えた。
電車に乗るのも、遠くへ行くのも、会社に行くのも、
女の子とデートするのも、クルマを運転することも、
レストランでオーダーするのも、たくさんのお金を自由に使えることも、
家に帰らなくてもいいことも、知らない人と会うことも、
あんなにステキに見えたこと全部できるようになった。
どうしたら生きることに慣れないでいられるだろう。
どうしたらあたりまえと思わないでいられるだろう。
もう25にもなるのにそんなこと考えてる。
でもこれからもそんなこと考えていたい。
うふ。
航空券があまっていたので大阪に行く。
同期の方々に久々に会う。
同窓会にも関わらず抜け出してきたウッディーに感謝。
何やら転職の話とかも出てくる。
真剣に話しているのだが、転職するしないは実はどーでもよいと思う。
転職てことは、つまり仕事は続けると言うことで。
僕にとっては、生産活動をし続けるという意味で、どこで働いても同じに見える。
年がら年中遊べないという意味で、根本的にはかわらないと思う。
どれくらい遊んだら満ちるのだろう。
それはきっと、遊びに満たされるのではなく。
仕事に縛られない自分に満たされるのだよ。
だから僕は遊ぶのだ。
馬車馬のように遊ぶのだ。
次の日の行動予定決めるの禁止。
持ち帰り残業禁止。
夜更かししないの禁止。
ちっちゃくなること禁止。
運悪く裏目にでて失敗したり、
運良く救いの手が伸びてきたり、
浮いたり沈んだりしながらも、なんとか仕事を辞めないでいる僕。
ぜんぜん期待はしてなかったけど、
でも、見ようによっては楽しいのかもしれない。
毎日怒られてばかりで、成果もあげてないのだけれど。
仕事選びは二種類ある。
自分に向いてる仕事と向いてない仕事。
向いてる仕事に就くのが理想。
でも、向いてない仕事でダメなとこ試してみるのもこれ一興。
テトリスのように降ってくる仕事を、
天井すれすれで、どうにかこうにか消してる毎日ですが、
うむ。
いっこのことしかできない僕に、
同時平行で数多くをまわすこの仕事は、意外と必要なのかもしれない。
日記が。更新されていない。。。うぐ。
忘れやすい僕のこと。
一見すると、なんの刺激もないようなこのサラリーマン生活も。
実は、僕自身にも、あるいは僕のすぐ傍でも、
色とりどりの出来事が起きてたりするのかもしれないわけで。
そんな瞬間を摘み取るには、
そのためには、ちゃんと目を見開いて、いっこいっこの出来事を、
目で、耳で、カラダ全部で感じ取らなきゃいけないわけで。
そうして摘み取った、なんでもない瞬間は、
じっくりしっかり味わうことで、ココロ震わす瞬間になる。
昔から感受性のない僕にとって、
日記というのは、そのためのツールです。
だから、書いてないこの何ヶ月か。
やっぱり何してたかわかんないくらいに、ポッカリとしてしまった。。
ああ。もったいないお化けが出てくるよ。
ということで、日記再開。
ああ。でも社会人。明日は会社。
四時間後には、家を出なきゃだ。。。