親しい人の死に直面したら、どうしますか。
それが例えば、親とか子とか、家族だったら。
それを仮に止められるとしたら、どうしますか。
いくら払いますか。
それとも自分の命の引き換えちゃいますか。
それが例えば恋人だったら。
それが例えば友達だったら。
それが例えば、ただの知り合いだったら。
それが例えば、会ったことのない、他の国の人だったら。
それが例えば、あなたと同じ日本人だったら。
僕らの住む世界には、生と同じように死がありふれているのだけれど。
病気だったり、事故だったり、空腹だったり、殺されたりして。
毎日毎日、あたりまえに、人が死んでいくのだけれども。
それを見てみぬふりして、やりすごしているのは、
止めようともしないのは、
その影で、のほほんとして生きられるのは、
赤の他人を、自分の家族のように、あるいは友達のように、
救いたい人、救われるべき人だって想える想像力が働かないから。
そんななかで、赤の他人に起きる悲劇を、
ほんの少しだけど、垣間見る手段となるべき報道の。
それに携わる人が死んだ。
彼もそれを伝えることに、命を賭したのだと思う。
だけど、激動のフィリピンで。
他にもたくさんの人々が殺されているなかで。
あのカメラマンの死だけが、クローズアップされるのは、
同じ日本人というだけで、とりわけ多くの衝撃を与えられるのは、
さして面白くもない皮肉である。

